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語学

3点不足

ドイツ語検定は不合格でした。
3点不足していました。
あと一つでも正解していれば・・・。
春も受けようp(^^)q
  • 2012.12.20 Thursday
  • 20:09

語学

ドイツ語検定試験

数年ぶりにドイツ語検定試験を受けてきました。
ダラダラと勉強(というほどでもないけど・・・)は続けているけど、いまだに3級の受験です。
そして、感想。
読解問題は、なんとなく文意はつかめるけど英語同様、正確な冠詞や前置詞を選んだり、格変化に自信なし。
聞き取りは、買い物中の会話で、値段や何%割引だからいくらになったかを問われ、結局、75%という数字は聞き取れたものの元の数字がちゃんと聞き取れず計算できなかった。
まだまだ修行が必要です。
でも、試験会場が母校だったから、受けに来たこと自体は楽しかった。
学生時代はあまり魅力を感じなかったけど、この年になって振り返るといい学校だったなぁと思います。

次は春に受けようかな(^^)
  • 2012.11.23 Friday
  • 12:36

語学

夢でドイツ語

今日は寝込んでた。
すると、オペラ歌手ヨッヘン・コワルスキー氏が夢に出てきた。
何かのパーティみたいな場所で、一緒にワインをのんでいた。
何か会話しようとして、一生懸命に知ってる限りのドイツ語を話した。
あちらも何かドイツ語で話していた。
疲れる夢だった。
  • 2012.02.02 Thursday
  • 17:47

語学

ドイツ語-その3-

駅前留学は3年間有効だった。2年目に当たる1999年には、母と二人でドイツへ旅行もした。今度は正真正銘の個人旅行だったけど、超ブロークンの英独語で乗り切った。この頃、ドイツ人のメル友もいたので旅行の途中で会ったりもした。
でも、長年の夢だったドイツ旅行が終わってしまうと徐々にレッスンに通う回数が減ってしまった。その上、教室の移転や講師の異動もあって、レッスンに行っても知らない人ばかりになってしまった。こうなると悪循環で、結局、最後の半年はほとんど通わないまま受講期間が終わってしまった。そういえば、この時期には「Mein Deutsch」というドイツ語学習雑誌も年間購読していたな。これも最初の2〜3号しか勉強しなかった(^^ゞ
この辺り2000年〜2001年はドイツ語からやや遠ざかっていた時期といえる。趣味のほうもオペラや歌曲から歌舞伎に移っていった時期で、この言葉の意味を知りたいと思うきっかけが少なくなっていた。
しかし、習慣でNHKラジオのドイツ語講座だけはぼちぼちと聞き続けていた。あるとき、ふと検定試験を受けようと思い立ち、ついに2003年6月にドイツ語技能検定試験のもっとも初歩クラスである4級を受験・合格した。
そんなこんなでダラダラとドイツ語学習を続けていて、そろそろ3級にも挑戦したいと思うようになった。今はスクールにも通っていないし、ラジオ講座も最初の2ヶ月くらいが簡単すぎて聞き続けるのが面倒になってしまっている。でも、今年の秋こそ3級の受験、頑張るぞ!!
  • 2005.06.01 Wednesday
  • 01:08

語学

ドイツ語-その2-

駅前留学を始めた1998年頃、私の仕事は非常に多忙で、毎晩10時まで残業、ほとんど毎週土曜出勤という生活だった。だから、駅前留学しても、そうしょっちゅう通える見込みはないと思い、グループレッスン150回分のコース(3年間有効)にするつもりだった。しかし、営業のおねえちゃんのトークは凄まじく、いつのまにか600回コースで契約してしまっていた。グループレッスンは1回1ポイントだけど、マンツーマンは3ポイント、英語コースもとったので「これくらいは勉強しないと使えるレベルにはなりませんよ〜」というのだった。
最初の1年は、そりゃ熱心に通いましたとも。平日1日と日曜日にそれぞれ2レッスンずつ英語とドイツ語を勉強していました。始めて間もなくウィーンに行ったこともあって結構楽しく勉強しておりました。前述のマリコさんに会ったのもこの頃。思い出に残っている講師といえばダグマーとヤン。ダグマーはフランスとベルギー国境付近の出身で長身の金髪美人。私の3倍くらい鼻かが高かった。教えるのがとても上手で、いろいろな絵のカードを組み合わせて作文させたりした。そうすることで単語もおのずと増えていった。もう一人のヤン先生は、華僑のスイス人。おじいちゃん・おばあちゃんが香港あたりからスイスに渡ったとかで、見た目はバリバリのモンゴロイドで日本人でも通る。話せる言語は、英独仏に簡単なイタリア語、それに北京語・広東語。来日中は日本語を勉強していた。彼はとても誠実な雰囲気の人だった。また、レッスンの評判もよくて、私なんかがつい日本語や英語で言ってしまったことをひとつひとつドイツ語に直してくれた。この二人の先生は、今でも懐かしく思い出す。多分、もう帰国してるだろうなぁ。でも、それ以外の講師は玉石混合で、テキストを読むだけの人・いつもあくびをしている人・恋人の話ばかりする人などなどお粗末な講師がいたのも事実。いずれにしても、初級から中級の独・英会話のレッスンでは、映画と音楽の話ばかりしていたような気がする。映画の話といえば、イギリス出身のリチャード先生のレッスンのとき、好きな映画は何かと聞かれて「I like one of Jeremy Irons film, but I don't know its English title.」と答えたら日本語のタイトルを聞かれた。そこで、「戦慄の絆」と言ったらリチャード曰く「千里中央のいずな?」(-_-)→\(^▽^)/爆笑…。とまぁ、そこそこ楽しくレッスンをしていたのであった。
  • 2005.05.26 Thursday
  • 23:30